今日のドラマ「まんぷく」の再放送を見ていると
「北九州に爆弾が落とされました。」という下りがありました。
母と一緒に見ていたので、
私「最初に爆弾落とされたの北九州だったの?小倉?」と聞くと
母「そうよ。あの小倉城の先は、ずーっと造兵局だったから。」
私「ぞうへい局?」
母「武器を作るところ。」
私「じゃ、その造兵局に落とされたの?魚町からすぐそこじゃない!」(母は小倉の魚町育ち)
母「造兵局には落ちなかったかも??民家には落ちた。弁護士のおうちの方がなくなった。」
私「・・・かわいそうに・・・」
母「あの時は、まだ防空壕なんか作ってなくてね。お母さんのところ、お父さんの(私の母方の祖父)仕事のビルで地下室があったから、みんな近所の人も地下に逃げ込んだのよ。あの爆弾の後、みんな急いで防空壕作ったりしたよ。」
私「疎開はしなかったの?」
母「うちのお父さん(私の祖父)は、色々まとめ役をやっていたから、みんな周りの人は疎開したけど、残っていないといけなかったみたい。しばらく経って知り合いの家に間借りして住んだけど、やっぱり小倉は小倉で〇〇だった。」
私「ふ〜ん。」
母「でも、小学校は休みじゃなく毎日行っていたのよ。」
私「えっ?」
母「だから、空襲警報がなったら家まで帰って、ちょっと遠かったから、家に着く頃には、また小学校に戻らなくてはならなかったりして、行ったり来たりしてた。」
私「ふ〜ん。その距離、よく歩けたね〜。」
私「竹槍攻撃みたいなことも練習したの?」
母「なぎなたの練習をさせられた。」
私「なぎなた。」
母「中学の高学年になったら、みんな造兵工場に行って兵器を作らなくては、いけなかったのよ。お母さんは、その年になる前に戦争終わったけど。」
私「兵器!!勉強もできず、大変!!」
とドラマそっちのけで、
母の戦時中の話を聞きました。
戦争もなく平和な日本になって、良かった。
と思ったお昼の会話でした。
それでは、また!