こんにちは。
日曜日、お天気が良いのでどこかへ行こうということになり、太宰府天満宮に行ってきました。
福岡では有名な天満宮ですが、ご存知ない方のために
太宰府天満宮について
太宰府天満宮は、学業の神様と言われる菅原道真公を祀った天満宮です。
道真公は、承和12年(845)に京都でお生まれになりました。幼少期より学問の才能を発揮され、努力を重ねられることで、一流の学者・政治家・文人としてご活躍なさいました。 しかし、無実ながら政略により京都から大宰府に流され、延喜3年(903)2月25日、道真公はお住まいであった大宰府政庁の南館(現在の榎社)において、ご生涯を終えられました。門弟であった味酒安行うまさけ やすゆきが御亡骸を牛車に乗せて進んだところ、牛が伏して動かなくなり、これは道真公の御心によるものであろうと、その地に埋葬されることとなりました。延喜5年(905)、御墓所の上に祀廟しびょうが創建され、延喜19年(919)には勅命により立派なご社殿が建立されました。 その後、道真公の無実が証明され、「天満大自在天神てんまだいじざいてんじん」という神様の御位を贈られ、「天神さま」と崇められるようになりました。
長い年月、道真公へのご崇敬は絶え間なく続き、御墓所でもある太宰府天満宮は全国約12,000社ある天神さまをお祀りする神社の総本宮と称えられ、今日でも多くの参拝者が訪れています。
菅原道真公ってどんな人?カリスマ?
太宰府は、道真公が飛ばされた左遷の地だったらしいけれど・・・
つまり、菅原道真公は、超スーパーエリートだったのに、いわれなき罪によって左遷されたのですね。
なんだか、池井戸潤さんのお話に出てきそうなゴタゴタがあったのでしょうね。
しかし、九州転勤は、京都の時代からも左遷の地だったのですねえ。
良いところなのに、いまも昔も中央で働く人にとっては、「飛ばされた」って言われるんですね。
(もうすぐ、働き方も色々変わりそうなので、そんな時代も終わるかも?良いところですよ〜。)
全国に天神さまが12000社?菅原道眞公ってそんなに人気者だったの?
長い年月、道真公へのご崇敬は絶え間なく続き、御墓所でもある太宰府天満宮は全国約12,000社ある天神さまをお祀りする神社の総本宮と称えられ、今日でも多くの参拝者が訪れています。
東京の湯島天神も菅原道真公を祀っているというのは知っていましたが・・・
天神さま=菅原道真公なのですね。
むか〜しそういう事を聞いた気がしますが、すっかり忘れていました。
が、しかし、天神さまって全国に12,000社もあるんですね。菅原道眞公ってそんなに人気だったの?
天神さまの数と他の数を比較してみます。
全国の「道の駅」の数が1145。
(国土交通省調べ)・・・道つながりで調べて見ました。
天神さま、全国に12,000社
天神さまの数は、道の駅の約10倍以上!
「道の駅」という例えが、都会の方には、わかりにくかったかもしれないので、
セブンイレブンの店舗数も調べてみました。
全国のセブンイレブンの数、20,600店舗(2018年9月末)
あ、こっちは、セブンイレブンの方が多かったですね。
「コンビニ並みに天神さまの数が!」って言いたかったけどちょっと違いました。笑
しつこく、ミニストップの数を調べる私・・・
ミニストップは全国と海外を合わせて 5464店舗 (2018年10月末)
ミニストップの数よりも多いですね!!
コンビニとの比較は気分を取り直して・・・・
菅原道真公、どんだけ人気者なの?
たった1人のために12000社。
とんでもないカリスマだったのですね!!
学問の神様ですから・・・いまの人でいうと・・・誰?
そんな人いますか?笑
神童からの文武両道の青年期を経て、
出世からの左遷の壮年期
京都から讃岐国の長官として赴任された際、疲弊していた国を建てなおすなど善政を行い、住民に大変慕われました。
その実績が宇多天皇に認められ京都に戻り、厚い信任を受け、ますます政治の中心でご活躍されました。
寛平6年(894)、唐の国情不安と衰退を理由に遣唐使停止を建議され、後の国風文化の開花に大きな影響を与えました。
その後、右大臣に任じられ、国家の発展に尽くされていましたが、左大臣 藤原時平の政略により、身に覚えのない罪によって大宰府に突如左遷されることとなりました。
失意の中で京都を離れる時に
庭の梅の木を見て別れを惜しんで読まれた句
「東風吹かば にほいおこせよ梅の花
あるじなしとて春な忘れそ。」
訳
春風が吹いたら、香りをその風に託して大宰府まで送り届けてくれ、梅の花よ。
主人である私がいないからといって、春を忘れてはならないぞ。
道真公を慕って一夜のうちに飛来したと言われる飛梅。
(本当に〜?道真公ファンか誰かが植えたのでは?・・・あんまり突き詰めるとバチが当たりそうなので、そういうことにしておきましょう。笑)
こちらが、その有名な飛梅。ほんの少し梅の花が残っていました。
太宰府での生活
大宰府では、衣食もままならぬ厳しい生活を強いられながらも、皇室のご安泰と国家の平安、またご自身の潔白をひたすら天にお祈りされ、誠を尽くされました。
延喜3年(903)2月25日、道真公はその清らかなご生涯を閉じられました。
犯罪者として送られてきた道真公には皆さん、最初は冷たかったのかな?
でも良い人だったから、だんだん太宰府の人も、尊敬するようになったのかな?(想像)
その後、朝廷でも無実が証明され、人から神様の御位に昇られた道真公は、太宰府天満宮に永遠に鎮まり、「学問の神様」・「至誠の神様」として現代に至るまで永く人々の信仰を集めています。
やっぱり、池井戸潤さんに物語をかいていただきたい!笑
まとめ
菅原道真公はとんでもないカリスマだった!
学問の神様だからと、学業お守りを受験中の甥っ子、姪っ子に買って帰ったのだけれど・・・12000社分の願い事を聞く道真公も大変ですね。笑
しかも、もうすでに昨日試験日だったみたいだし。笑
昨日も受けたけれど、まだ試験日があるとのこと。
甥っ子、姪っ子よ。頑張るのだ!!
本当は、梅の花や梅ヶ枝餅のことなど書きたかったのですが・・・12000社が気になってしまいました。笑
梅ヶ枝餅などは次の記事で。
それでは、また!